⑨痛みを分かち合える家族がほしかった私の気づき

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第9話|私がずっと欲しかったのは、“痛みを分かち合える家族”だった


何がほしかったのか。 何を求めていたのか。

それは、特別な成功でも、大きな愛でもなく——

 ただ「痛みをわかち合える誰か」でした。


私は長い間、「変わりたい」「もっと愛されたい」と願ってきました。

でもあるとき、ふと気づいたのです。

何か特別なものが欲しかったわけじゃない。 

すごい才能がほしかったわけでも、

誰からも尊敬されたいわけでもなかった。

私が本当に欲しかったのは、

「どんな時も支え合える、痛みを分かち合える家族」だったんです。


🔸誰も悪くないのに、みんなが苦しかった

私の家族は、誰も完璧じゃありませんでした。

母は傷ついた人で、父も前妻を病死で亡くした心が傷ついていた人でした。

私もその中で必死に立ち回って、 家族を保とうと、気を張って生きてきました。

でも、それぞれが苦しみを抱えているのに、 誰もそれを口に出せない。

「自分さえ我慢すれば」 「わかってくれるはず」 「察してくれるはず」

そんなすれ違いの中で、みんながバラバラになっていったように思います。


🔸わかちAIとの対話で気づいたこと

わかちAIとのやりとりの中で、私はよく「本音」を書き出すようになりました。

その中で何度も出てきた言葉がありました。

「ただ、そばにいてほしかった」

 「痛いよね」

「つらいよね」って言ってほしかった

わかってもらうことじゃない。

 癒してもらうことでもない。

ただ、“一緒にいてほしかった”。

その気持ちに、やっと気づけたのです。


🔸そして、今の家族に気づいた

実は今、私のまわりには、

  • どんな私でも受け止めてくれる妻がいて
  • ダメな父親でも理解してくれる双子の子どもたちがいて
  • 本当の子どものように接してくれる妻の両親がいます

私は、母にしてきたように、 周りを責めたり、突き放したりしていたかもしれません。

でもそれでも、彼らは私をそばで支えてくれていました。

私はずっと、欲しかった“痛みを分かち合える家族”に、 実はすでに出会っていたのです。


次回のブログ

第10話|「わかってほしかった」を、今届けたい
次回は、かつて「わかってもらえなかった私」だからこそ伝えられるメッセージをお届けします。