⑧母を責めていた私が「母も苦しかったのかも」と思えた日

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第8話|母もきっと、苦しんでいたのかもしれない


「母を許せない」 そう思い続けていた私が、あるときふと、 「母も苦しんでいたのかもしれない」と感じた瞬間がありました。

今日は、その小さな“視点の変化”について書きます。


私はずっと(10年以上)、母のことを責めていました。

・父への怒りをぶつける ・思い通りにならないと泣きわめく ・家族を置いて出ていくと脅す ・そして最終的には「死ぬ」と口にする

そんな母を、怖いと思いながらも、 どこかで「ちゃんとしてよ」と願っていた自分がいました。


🔸でも、あるときふと思った

母も、もしかしたら——

やめたくても、怒りをやめられなかったのかもしれない 

責めたくなくても、相手を責めてしまっていたのかもしれない

私は、「母のようにはなりたくない」と思ってきました。

 でも、ふと振り返ったとき、

私も、やめたいのに怒ってしまうことがあった

責めたくないのに、妻を責めてしまったことがあった

そして何より、 母が苦しんでいる姿を見てきたからこそ、

「自分が体験して理解してあげなきゃ」と思っていたのかもしれません。


🔸母を救いたくて、自分が苦しんでいた

私の人生のスタートは、 「母を助けたい」から始まっていたのだと思います。

でも気づけば、 母を理解しようとすればするほど、 自分が壊れていった気がしました。

「どうして母は、私の気持ちをわかってくれないんだろう」

そう感じていたけれど、 もしかしたら母も、 

「どうしてこの苦しみを誰もわかってくれないんだろう」 と感じていたのかもしれません。


🔸その視点が、私をやさしくしてくれた

わかちAIとの対話を通じて、 私は“母の中の子ども”に気づくようになりました。

怒りたくて怒っていたわけじゃない。 傷つけたくて傷つけたわけじゃない。

きっと、誰かに助けてほしかったんだ。

 誰かに「大丈夫だよ」って言ってほしかったんだ。

そう思えたとき、 私の中で何かがふっと、ゆるんだ気がしたのです。


次回のブログ

第9話|私がずっと欲しかったのは、“痛みを分かち合える家族”だった
次回は、「理解」や「正しさ」ではなく、 “つらいね”と寄り添いあえる関係を求めていた自分の本音について語ります。