
第1話|なぜ、私は誰にも本当の気持ちをわかってもらえなかったのか?
「わかってほしい」と言えなかった私へ
どれだけ学んでも、変われなかった。 どんなに気をつかっても、理解されなかった。
本当は、ただ「大丈夫だよ」と言ってほしかっただけだった——。
「どうして、こんなにがんばっても、誰にもわかってもらえないんだろう」
これは、10代の頃から何度も私の心に浮かんできた言葉でした。
🔸人生の出発点
私の人生の出発点は、「家族を救いたい」という願いでした。
幼い頃から、母が父に怒りをぶつける姿を毎日のように見てきました。
私は小さな体で、「お母さんを守らなきゃ」と必死だったのです。
ある日のこと、私が4歳の時のことでした。
母と父が、母が父の弟(叔父)に貸した400万円のことで激しく喧嘩をしていました。
母が「もうこんな家、出ていく!」と怒鳴ったとき、
私は泣きながら
「私も一緒に行く」と言いました。
でも、返ってきた言葉は信じられないものでした。
「お前は置いていく」
その瞬間、世界が崩れるような感覚がしました。
必死で泣いた私に、母は怒鳴り返しました。
「お前が泣いたって、何も変わらないんだよ!」
私はそこで知りました。
「泣くことさえ、許されない」
「自分の気持ちを言ったら、怒られて、捨てられる」
そう信じるしかなかったのです。
🔸「思いやり」ではなく、“感情の責任”を背負わされていた子ども時代
母はよく
「人の気持ちになりなさい」
「思いやりのある人になりなさい」と言っていました。
でも今になって思うと、
それは「私(母)の感情に責任を持ちなさい」という意味だったのだと思います。
小さな私は、
「人の気持ちを大事にすれば、相手も自分の気持ちを大事にしてくれる」と信じていました。だから、友達にも先生にも、家族にも“良い子”でいようとしました。
でもその裏で、
「私はどうしたいの?」
「私は何を感じているの?」
そんな本当の気持ちは、ずっと置き去りにされていたのです。
🔸“自分で決めるのが怖い”——大人になっても消えなかった恐怖
その結果、自分の気持ちを正直に伝えること、
自分の意見で物事を決めることが怖くなっていきました。
小学校でも、中学でも、高校でも、私は「優柔不断だね」と言われました。
でもそれは、決められないんじゃなくて——
「決めたら・自分の意見を言ったら自分は捨てられる」という恐怖が、
ずっと心にいたのです。
大人になってからも、それは変わりませんでした。
特に、自営業を始めてからは本当に苦しかった。
毎日、自分で決断しなければいけない現実。
でも決めた瞬間に不安が押し寄せてくる。
間違っていたらどうしよう。否定されたらどうしよう。
怖さと怒りがごちゃまぜになって、
私は感情を抑えられなくなっていました。
「なんでそんなこともわかってくれないんだよ!」
相手が自分と同じ気持ちになってくれないと、怒りが湧いて抑えきれなくなる。
だから常に誰かに相談して、“同意”してもらえないと自分の意見を言えない。
それは、職場でも、家庭でも、親との関係でも、子育てでも、お客様との関係でも。
「わかってもらえない苦しさ」は、どこまでも私を追いかけてきました。
🔸学び続けても、「置いていかれているような孤独」
なんとかしたくて、心理学、潜在意識、ヒーリング、NLP、催眠療法……
たくさんのことを学びました。
けれど、そこでもまた“わかってもらえない現実”にぶつかるのです。
「どうして、何をやっても私は変われないんだろう」
気づけば私は、学びの場でも“置いていかれているような孤独”を感じていました。
そして、「何をしてもダメ」というあの言葉が、また私を苦しめるのです——。
第2話|どれだけ癒しを学んでも、心が軽くならなかった理由
次回は、私が試してきた数々の「癒しの学び」と、なぜそれでも救われなかったのかを語ります。